或る夏の記憶
☆28年前の今日、友人Kが交通事故で世を去った。
知らせを受けても実感が湧かなかったが、なにしろ大変なことが起きたらしいことはわかったので、いてもたってもいられずKの住む街へと車を飛ばした。
何人かで連れだって、真夏の夕刻、黒いスーツを着てお通夜の会場に到着すると、いつもライヴハウスで顔を合わせる面々がすでに並んでいた。
会った瞬間は、みんな普段と正反対の正装がおたがいに面白く「わあ、スーツ着てる!」などとひそひそ声で笑いあったものの、すぐに「いま、みんながこの場所に集まった理由」を思い出し、真顔に戻り無口になるのだった。
☆Kはそのとき大学に入ったばかりの19歳の少年で、仲間内では最年少。頑固で気が強いが人懐っこく陽気で、はにかんだように笑う笑い方がなんとも可愛かった。年上の学生のバンドに混ざってベースを弾いていた。
人見知りな私がひとりぽつんといると、Kは例のはにかみ笑いとともにどこからともなく現れ、私の相手をしてくれた。
やがて別の誰かが現れて三人で談笑していると、Kはいつのまにか消えるのだった。
決して長くはない友達づきあいのなかでそういうことが何度もあったせいか、いまだにKはちょっと不思議な印象である。
☆お通夜の席で、Kのお兄さんのGちゃんが一升瓶でお酒をついでまわっていた。
私はサングラスをかけ涙を隠して「少しでいい……。」と言い、Gちゃんは「大酒飲みじゃなかったの?」と涙声で言った。
☆会場は市民センターのような建物の一室だった。
御遺体に挨拶しておいで、と年上の人から言われたが、私は棺のなかを絶対に見ないと決めていた。見ればKの死を認めることになる。そんなことは嫌だ!
夜中近く、人もまばらになり、誰かがギターを弾きはじめた。ラジカセからは音楽が流れた。私は部屋のなかをぶらぶらと歩き窓のそばへ行った。
カーテンはなく外は真っ暗。そんななか、少し高い窓ガラスに白い手型を一つ見つけた。
チョークをたっぷり塗って、通りすがりにガラスをぽんと叩いたようなその大きめの手型を、ぼんやりと背伸びして指で触れてみた。が、触ることができない。
よく見ると、窓の外から付けた手型だった。
そこは一階だったが、高い脚立でもなければその位置に手型をつけることは不可能で、私の頭のなかに疑問符が渦巻いた。
と同時に、Kも大きな手をしていたっけなあ、と思い出した。
このことをGちゃんに報告すると、「やめてよ〜、怖いよ。」と困った顔をされてしまった。
☆翌日は午前中から告別式があり、泣きはらした眠い目で列席した。
炎天下、火葬場にも連れて行ってもらった。
誰かが「若いから、骨、きれいだよ。」とはっきりと言ったが、なぜそんなことを言えるのかがいまだにわからない。そんなことより、問題はKの不在なのだ。
けっきょく、焼きたての白い骨を私も拾ったはずだが。
☆後日だったと思う。Gちゃんの好意でKの形見分けとして、Kが愛用していた熱帯の鳥の形のピアスを無理やりもらった。いまでも宝物の小箱に大事に入れてある。
いま、まわりまわって私の手もとには、Kが愛聴していた二本のカセットテエプもある。
ほんとうならGちゃんに返すべきだったのだろうが、返しそびれてこの年になってしまった。
返せなくなった以上、いつでも返せるように大切に保管するよりほかはない。
☆当時バンドに在籍していた私は、いなくなってしまったKのことを歌詞にして「お菓子の唄」と名づけた。
「無重力の日は / 土星の輪の上 / 追いかけっこを / あの世の果てまで」という、全力で書いた拙い歌詞をいまでも諳んじることができる。スローテンポでハイテンションな曲だった。
Kに会いたい一心で書き、唄った。
☆いまKがこの世にいたらどんな人になっていただろう、と八月がくるたびくりかえし考えてきた。八月以外にも考えた。
Kのことだから、きっと面白い人物になっていたのではないか。
たとえ疎遠になっていたとしても、地球上にいてほしかった。
☆K、またね。