SOMEDAYを聴けば

☆あれは十七歳の初夏だった。当時つるんでいたYがたまたまくれた佐野元春の「NO DAMAGE」のカセットテエプをいたく気に入り、くる日もくる日も聴いていた。

 

☆「NO DAMAGE」を聴くうちに秋が来た。秋の夜は早く始まる。私は夜を待っていた。街のネオンサインや街灯がいつもより早く点灯するのがうれしかった。まだ「夜の世界」を知らない私にとって、夜の一部を垣間見た気になるのは心躍ることだった。それほどに私は幼かった。

 

☆人工の光に彩られた街を歩くのは愉しかった。黒いストッキングに黒いパンプスでオトナぶるのも好きだった。重苦しい空気の家になど帰りたくなかったが、宿無しになる勇気もなかったので、やむを得ず帰りのバスに乗る。

 

☆駅前を発車したバスはすぐに右カーヴに入り、1kmほどの直線道路、片側二車線のS通りの起点に出る。その道にはオレンヂ色やレモンスカッシュ色の街灯と信号機が規則的に並び、光り輝いていた。

それをバスのフロントガラスから見た瞬間、突然、頭のなかで佐野元春の「SOME DAY」のイントロが鳴り始めた。車の走る音やクラクションが収められていた「SOME DAY」だ。大都会の夜の光から作られたであろう曲が、田舎町のメインストリイトとシンクロする不思議。

私はこれよりも美しい夜景を見たことがない。少しにじんだ光を見ながらなんともいえない高揚感に包まれて、夜のS通りをバスに揺られたのだった。

 

☆いまだに「夜の世界」はほとんど知らないままだが、それなりに世間ずれしたうえ視力も弱まり、夜のS通りはまばゆさを失った。あのころはどうしてあんなに光がまぶしく見えたのか。思うに、「若さ」というのは一種の魔法で、それが尽きたらオトナになり、長生きしすぎれば老人なのだ。

 

☆それでも「NO DAMAGE」を聴くと、あの夜の少し潤んだ光を鮮明に思い出す。若気の至りもわるくない。