祖父の思ひ出

☆今日は祖父の命日にあたる。酒焼けしてはいたが少し低めのいい声はいまでも忘れない。訛りの少ないきれいな話し方をする人だった。

 

☆私が生まれてから三ヶ月のあいだ、午後五時に仕事を終えるとそそくさと帰宅し、まだ赤ん坊だった私を一日も休まずお風呂に入れてくれたそうだ。頭を支えた大きな手の指先でお湯が入らないよう耳をふさぎ浴槽に浸ける。私は重たい赤ん坊だったからほどよくお湯に沈んだが、怯えて毎度ちぢこまっていたと、よく祖父に聞かされた。

お酒を飲みに出かけるのを後回しにしてまで孫をお風呂に入れると知った職場の人たちはみんな驚いたという。

 

☆私が三歳くらいになると、祖父母の家の居間の低い窓を指し、「おまえはそこから顔を出せなかったんだよ」と口癖のように祖父は言った。わずか40センチほどの高さなのに、どうしてこんな低いところから顔を出せなかったんだろう、とそのたび不思議に思ったものだ。

 

☆何度か書いたが、祖父は警察官だった。違法な賭博の取り締まりの都合上、博打を知らなければいけないということで、警察から博打のやり方を伝授されたがために何も知らなかった祖父が博打を覚えてしまった。

ある休日、祖父が遊んでくれた。

「銀行ごっこをやろう」とコドモのかるたを出してきて、まず読み札と取り札とに分け、さらにそれを二つずつに分けて合計四つの札の山を作る。そして祖父が「親」、祖母と私たちコドモが「子」になる。

「子」は白い読み札と色付きの取り札をいくらか持たされ、「親」が裏返しに並べた四つの山のどれが「白」でどれが「色付き」かを予想し、手持ちの札をそれぞれ賭ける。

当たれば賭けた札の数と同じだけ払い戻され、「子」の手札は倍になる。

要するにこれはある種の博打のコドモ版だろう。

その日の銀行ごっこはとても楽しく盛り上がり、さっそく私たちの新しい遊びのメニューに加わった。

わるくて楽しい祖父であった。

 

☆しばらく祖父の夢を見ていない。もう夢でしか「再会」できないのだから、ちょくちょく登場してくれなければ困る。