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祖母の茶飲み話

☆祖父もだが祖母も喫煙者で、夫婦そろってフィルターのない「しんせい」を吸っていた。祖父母は喫煙することを「煙草をのむ」といい、祖母はよく煙を輪っかにして幼い私を楽しませてくれた。受動喫煙上等であった。

 

☆祖母は小学校に上がるか上がらないかの小さな私を「泉鏡花小泉八雲は怖くて面白いぞお」と何度も誘惑した。結局私は、小泉八雲を小学五年のときに、泉鏡花は二十代半ばに読み、どちらもとても好きになった。

 

☆同じころ、夕方のテレビで、当時『変身! サマンサ』という題名で放映されていた、のちの『奥様は魔女』が非常に面白いと勧められた。祖母はエンドラという派手な衣裳の登場人物が気に入りだった。お相撲を見ても取り組みより行司の派手な衣裳についてよくコメントした。彼女は食うに困らないどころか着道楽なコドモ時代を過しており、着ていた着物の鮮明な記憶を語った。

 

☆当時のテレビは午後になると時代劇の再放送を毎日やっていた気がする。時代劇の好きな祖母は当然かたっぱしから見る。私もつきあっていっしょに見ているうちに時代劇を好きになった。が、コドモでバカなので時代劇の時代設定を現代だと勘違いし、しかもフィクションだと思いこみ、オトナになったらつぼ振りのおねいさんや舞妓はん、芸者さんになろうと本気で考えていた。また金ピカのお殿様はそこいらにいるのだと思って近所に探しに行ったりした。それもこれも祖母の時代劇好きの影響だった。

 

☆大正生まれの祖父母と昭和生まれの両親は同じものを指して別の言い方をすることがあった。

家で両親が「布団を敷く」と言うのを、祖父母は「床(とこ)をとる」と言った。両親が「テーブル」「味噌汁」と呼ぶものを祖父母は「お膳」「おみおつけ」と呼んだが、まだ小さかった私は何の抵抗もなく、「布団」「テーブル」「味噌汁」が「床」「お膳」「おみおつけ」であることを理解した。もしかしたらバイリンガルとはこのようにして出来上ってゆくものなのかもしれない。

 

☆祖母は、童謡・唱歌・子守唄・流行歌・軍歌と、いろいろ唄って聴かせてくれた。眠たがりやの祖母が私をお昼寝に巻き込もうと、ふかふかの「床」にいつのまにか私を寝かせ「ねんねんころりよおころりよ」の子守唄をエンドレスで唄ってくれたが、私の眼はいつでもぎんぎんで、祖母には申し訳ないことをした。祖母の歌唱で知った曲もいくつかある。いまでも童謡「赤とんぼ」といえば、笹やぶの小道で、小さな妹を背負い「夕焼け小焼けの赤とんぼ」を唄う祖母に手を引かれ三人で夕焼け空を見た、夢のようにリアルな場面を思いだす。

 

☆祖母はよく「お富さん」を唄っていたが、幼い私の耳にはおおよそ「いきな黒べえ 神輿の祭 仇名姿のあらいがみ」のように聞えており、間違ったままの歌詞でときどき唄っていた。

 

☆山育ちの祖母は、冬になると、きれいな新雪を選んでふんわりとすくいとり卵と砂糖を混ぜて「アイスクリン」を作って食べたと愉快そうに語っていて非常にうらやましかった。

 

☆塩を持って山に入り、葡萄の葉をちぎりとっては塩でもみ、片っ端から食べていた時期があったらしい。なぜそうしたかは彼女自身もわからないという。

 

☆祖母のご先祖には国鉄の駅長と温泉宿の女将がいるが、縁がないというのか、子孫の私は鉄道旅行もせず、おそらく温泉には一度も入らずに一生を終えるだろう。

 

☆祖母が幼かったころのこと、春先、新しいおべべを着て玄関先に一人でぶらりと立っていると、どこからか一頭の羊が現れ、猛然と祖母に向って駆け出した。あわてて家に逃げこみ廊下を走ったが羊は追ってくる。どうにか廊下の突き当たりの部屋に飛び込み、戸を閉めて難を逃れた。「春先の羊はあぶない。」というのが祖母の教えである。