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言葉の意味が失われてゆく

うだうだ 私事

☆「気持わるい」あるいは「きもい」という言葉の気持わるさに気づいたのは中学生のころだった。

☆濫用され消費されることによって意味の失われた言葉がどんどん増えている。それらを耳にすると気分がわるくなる。口にすると変な味がしそうな気がする。世の中にはそういう言葉があふれているので、テレビを見ても、人混みでも、たいがい気持わるくなることができる。逃げ場は少ない。

☆自分が女子高生のころから未だに2名以上の女子高生は鬼門だ。彼女たちは集団になるとなぜあんなに本物のおばさんのようなしゃべり方をするのか。早口の大きな声で無難な会話を途切れることなく続ける彼女たちの図々しさを私は恐れる。

☆私もおば(あ)さんだが2名以上のおば(あ)さんも嫌だ。女子高生同様、ヴァイタリティばかりが変にみなぎる感じが嫌なのかもしれない。ヴァイタリティとはある種の図々しさのことのようだ。

生きるということは図々しくあるということで、生きてゆくならばおそらく当たり前のことなのだ。人間とはいろいろな生物や植物を喰い散らかさねば生きてゆけない、図々しい存在なのだと思う今日このごろである。

☆残された時間は死人のごとく奥ゆかしく過ごしたいと思うが、生きている以上それはかなわないだろう。私は私で女子高生やおば(あ)さんとはまた違う種類の図々しさで死ぬまでの時間を過ごすのだ。

☆せめて言葉を消費せず、消費され尽くし意味を失った言葉とは可能なかぎり距離を置く余生を送りたい。

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