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民放FMラヂオデイズ

☆中学生のとき、地元で初めての民放FMが開局した。やっと与えられた個室で、やっと買ってもらったステレオ式の「ラジカセ」を、夜は枕元に置き、休日の昼間は窓ぎわなどに移動させ、欧米の音楽、古い音楽、ニュース的要素の強い情報番組など、むさぼるように聞いたものだった。最初に「AIDS」のことを知ったのも、デイヴィッド・ボウイーの『ジギー・スターダスト』の宣伝が気になって仕方がなかったのも民放FMだった。

☆高校へ入学した直後、私は心臓を患った。外を普通に歩くことも禁じられ、走るなどもってのほか。医者のいうとおりに休学するよりほかなかった。寝込むようなことはなかったが初めのうちは家に缶詰で、ひと月ほど経ったころだろうか、近所まで短時間でと言う条件つきで外出の許可が下りた。季節は大好きな春、しかも遊びまわりたい盛りの16歳だというのに、外に出られるのはごく近所の小さな書店までという、少し淋しい自宅療養生活だった。

もともと学校とは折り合いがわるく、小学校に入学してから中学校を卒業するまでの9年間、ほぼ毎日、空腹による吐き気と激しい胃痛に悩まされ続けたが、学校へ行かなくなると、大好きだが胃痛の元だった牛乳を二日で1リットル飲めるようになった。

☆そんな日々の午前中、朝食を済ませてコドモ部屋へ引っ込んだあとのお楽しみは民放FMだった。当時、十時半ごろから、いわゆるオールディーズを毎日3曲ずつ聴かせる番組があった。おだやかな優しい声のおじさんが静かに曲を紹介したあと3曲たてつづけに流すだけの15分ほどの番組であったが、私はたいそう楽しみにしていた。

中学校を卒業したあとの長い春休みに、テレビで映画『アメリカン・グラフィティ』と『卒業』を見る幸運に恵まれた。その影響もあってか、私は古いポップ・ミュージックに興味津々だった。そのころから、どの時代のどんな音楽を聴くかは自分で決めることにしていたので、最新のヒット・チャートよりも、優しい声のおじさんのオールディーズ番組のほうがはるかに魅力的だったのだ。毎日の3曲は確実に私の耳の栄養になっていった。

☆ところで、あのころ世界はなぜあんなに光に満ちていたのだろう。それは現在の世界が輝きを失ったのでなく、単に私が老化したせいなのだと思う。世界は相変らず美しい「はず」だ。