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パパママ・ガイキチ

☆つきあいきれないのと、かかわり合いたくないのとで、小学4年あたりから私は父を避けるようになっていった。

☆そうすると、なぜ自分だけを疎外するのか、ときいきいした非常にヒステリックな声で父が怒鳴る。静まり返る食卓。不味い食事が余計に不味くなる。絶好調で文句と説教を垂れる父を止められる者のいない世界である。

☆父は自分の思うままになるのも好きだったが、その反面、揉め事も好きだった。中学生のころ、同級生がかけてきた性的ないたずら電話にきつい訛りの金切り声で応答し、説教までしていた。だからまたいたずら電話がかかってくるわけだが、父によると「おまえの日ごろの行いがわるいからだ!」とのことで、わるいのは私ひとりだったらしい。

☆つい最近までの父の印象としては、

・コドモなど家庭内弱者を恐怖や暴力で支配しようとする(本人は親切のつもりである場合も多い)。

・家庭の中にも外にも父を止める者は誰ひとりいなかった。

・そういうわけで私は幼児のころから一人暮らしに憧れ続けた。

・思春期に入りそろそろ限界を超え、父を避けた。

・父はそれを私の「年ごろ」のせいにした(これは父に落ち度はないということを意味する)。

☆家庭内に救いはほぼなかった。両親ともに普段からきいきいしたヒステリックな物言いが多く、私の顔さえ見れば文句か説教を垂れ流すのであった。小学4年のとき、新しい環境になじめず不眠気味の私の顔を見ていろいろ文句を言ったあと「そういうのをきちがいの目というんだ!」と父は正面から叫んだ。もちろん私は耳を疑った。キチガイキチガイと言われたのか、と。

同じころ、参観日に来た母が帰宅後、「あんただけ頭のつむじが大きくて恥ずかしい! もう髪の毛を抜くんじゃない!!」と眉毛をつり上げまくしたてた。当時、私は、いわゆる抜毛症になっていた。

いろいろと満たされない両親にとって、私は恰好のサンドバッグであったようだ。飾りものの飴と使い込まれた鞭の冷たい家だった。

☆そんな両親には友人が一人もいない。私が幼いころ、友達が欲しくて子供を産んだのだと母は楽しげに語ったことがある。早く大きくなって対等におしゃべりできる日が待ち遠しいとも言っていた。彼女が欲したのは「オトナ」の私で、「コドモ」の私など求められてはいなかったのだ。しかし「コドモ」を尊重しなかったために彼女の「友達づくり作戦」は無惨な失敗に終った。母はこのことに気づいていないと思う。

☆こういう家庭を楽しむ方法はどこにもない。親を反面教師とするのがせいぜいだ。

☆楽しくもない物事を楽しむには莫大な労力を要するし、楽しくない物事を無理やり楽しむことは基本的に不可能であり、無駄な努力である。