馬車がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!

☆幼いころ、お風呂のお湯は釜をつなげた浴槽に水を入れて湧かしていた。湧かす燃料は石炭だった。

☆石炭はどうやって家に運ばれてくるか。馬車である。「1トン、お願いします。」などと電話で頼めば、石炭やさんのおじさんが馬車を駆って、車道のど真ん中をのんびりやってくる。そうしておじさんは毎度100キロほどちょろまかしては900キロくらいで1トンの料金を取ったりする。取られるほうは正確に計ることが不可能なので抗議のしようもないが、頼むたびに1トンの量がちがったのだと母が言っていた。そういういんちきがまかり通っていた土地であり時代だったのだろう。

☆馬車の馬は濃いチョコレエト色をした重種の年取った雄だったと思う(通常、馬車馬は雄である)。たいへんおとなしい馬で、おじさんがスコップで荷下ろししているあいだは黙々とそのへんの草を食べることに専念していた。

近所のコドモたちがめずらしがって大勢寄ってきて大騒ぎしてもはしゃいでも馬は落ち着き払っており、お調子者のコドモがわあわあいいながら恐る恐る草をあげても平気でむしゃむしゃ食べるだけだった。もちろん、コドモの手を噛んで怪我をさせるようなこともなかったし、いななく声など一度も聞いたことがなかった。よくできた偉い馬だったと思う。

臆病な私は、少し離れた物陰からひとり、馬の様子をそうっとうかがったものだった。私も草をあげたり触ったりしてみたかったが、馬のあまりの大きさに怖じ気づき、どうしてもそばへ行くことができなかったのである。

☆馬車馬のおなかの下には広げた布がぶら下げられていた。それが当時の私には悲しかったが、糞で道路を汚さないようにとの配慮だった。馬はいつもうつむき加減で淡々と荷車を引いていた。石炭やさんの馬車が、あの田舎町の最後の馬車だったのではないか。

☆私が最後に馬車を見たのは30年ほど前、この町の町はずれの、車の往来のまだない早朝の道のど真ん中であった。遠くから見たので何の馬車かはよくわからなかったが、あれは間違いなく馬車だった。時間的なことを考慮するとおそらく観光馬車ではなかっただろう。それ以来、私は観光目的でない馬車を一度も見ていないことになるのだが、いまの日本には観光馬車しか存在しないのだろうか。

石炭を運ぶ馬車はいまの世の中に必要のないものになったのだから仕方がない。そういうことだ。