私のGR

☆GRと白黒フィルムの日々がひどくなつかしく思いだされるときがある。右手がGRの鋳物の感覚を恋しがって困ることもある。縦に構えればあつらえたようにぴったり親指の位置にシャッターがあったのだ。架空のGRでもいいから手に持ちたい。

☆あのGRで何枚の写真を撮ったか、そのためにどれだけの距離を歩いたか。暗くて撮れなくなるまで撮るのは毎度のことだった。疲れてふらふらになるまで撮るのも当たり前だった。36枚撮りを10本以上ポケットに入れたのに足りなかったこともあった。GRを右手に握ったままポケットに入れて息があがるまで「獲物」を探し歩き、獲物を見つけた瞬間立ち止まり息を止めてシャッターを押し、撮り終えるとその場から逃げるようにすぐまた歩きだす。このくり返しだった。迷子になることも多かったため小さな住宅地図も携行したが、とにかくGRと私はいつも「二人きり」だった。

☆いま私のGRはどこでどうしているのだろう。

音楽に専念しようと、部屋で眠っていたGRを手放すことに決め、そのころよく行っていた或る写真ギャラリーの主(GR愛用者)に思い切って進呈したのだが、その後ギャラリーは消滅、ギャラリーの主の消息もわからないままだ。ギャラリーの書架にあればいつでも見られると思い、桑原甲子雄など、気に入りの写真集も贈呈したのだが、もう二度と見ることができなくなってしまった。せめて大事にされていればいいが、GR。

☆GRは、私に写真を撮らせてくれた立派なカメラだった。ISO1600の白黒フィルムで真っ昼間から撮影するバカな私につきあってくれた「恩人」のことが未だに忘れられなくて困っている。