追憶の電気猫

☆電気猫という名の小さなライヴハウスに週末ごとに通っていた時期がある。中年のころだ。苦手な夜道の一人歩きをしてでも通いたかった場所だった。

☆小さなフロアにでかい音。演者の執念がいろいろな形で炸裂して熱気を生むのが興味深い。音楽的にストライクではないバンドを気に入ることも面白かった。そういうバンドの自家製CD-Rを買ってほくほくしながら鞄にしまいこむのも楽しかった。

通ううちに顔見知りも出来、貴重な雑談をすることもあった。いわゆる宅録で自分の音楽を作ることができたのは、電気猫に通ったおかげでもあると考えている。なぜなら、電気猫は私にとっていつでも「音楽の現場」だったからだ。現場の熱気を帯びた躯で部屋に帰ると、おもちゃのようなマシンで一心不乱に作業できたのだ。

ライヴハウスはほかにもあるが、愛着があったのは電気猫だけである。夏は暑く冬は寒いが、どうにもこうにも好きだった。

☆その電気猫もなくなって2年以上になるだろうか。建物は残っていたので、淋しい気分になるとわかっていても、ときどき行ってはドアの写真など撮っていた。

☆町には知人の経営するまだ行っていないライヴハウスが一軒あり、いつか行ってみたいと思ってはいるが、現時点では体力的に無理がある。もしかしたら、もう「現場」には戻れないのかもしれない。

☆むかしむかし、友達のKちゃんが、バンド活動を引退し宅録もしていない私を「音楽のひと」だと言い張ったのが不思議だったのだが、いまならわかる気がする。やはりKちゃんは慧眼だった。私は死ぬまで音楽のひとでありたい。