萌え萌えと、女装できないおばあさんの明日

☆十年ほど前の話である。市中心部の横断歩道を渡っていたところ、男子高校生らしき声で「もーえー!!」と叫ぶのが聞えてきた。どうやら自転車を飛ばしながらのようだった。その場で膝小僧靴下(いわゆるニーハイ)を着用していたのは私ひとりだったから、もしかしたら萌え萌えなひとと勘違いされたのかもしれないが、残念ながら私は萌え萌えなひとではないので「もーえー!!」の彼は不正解である。しかし通りすがりに赤の他人からそんな面白いことを言われる機会は滅多にないのでやけに可笑しかったことをいまでも覚えている。

 

☆そのころだろうか、この町に初めてのメイド喫茶ができ、さっそく行ってみた友人I君がものすごい勢いで文句を言った夜があった。曰く、単なる飲み屋のおねいちゃんが取ってつけたようなメイドさんの衣裳を着け、酒焼けした声で「ご主人様ぁ!」と接客しやがった、と。彼が最も立腹していた点は、ニーハイの似合うおねいちゃんがひとりもいなかったということだった。そこのおねいちゃんより私のほうがずっとニーハイが似合うとのことだったから、かなり悲惨なメイド喫茶だったのは想像するに難くない。好奇心から求人広告を見てみたらお時給が水商売並みだったのだから、この田舎では仕方のない事故ではあったと思う。たしかそのお店は数ヶ月でつぶれたはずである。

 

☆私は膝小僧靴下の愛好家で、けっこうたくさん所有している。しかし困ったことに私は病気の老人になってしまった。あれを着用するには生き物としてある程度の馬力を必要とするのである。その馬力を病気と老化で一気に失ってしまったのだが、着用できなくなったからといって、長年探しまわって集めた愛着ある靴下を捨てる気になどなれないのだ。なかには30年前から所有してほとんど着用していないお気に入りもある。同じように、長い時間をかけて蒐集したミニスカアトも、着用することも捨てることもできずにいる。老人になった私は一体どんな洋服を着て残りの人生を過ごせばよいのか、途方に暮れる今日このごろだ。