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人生に疲れた9歳が考えたこと

うだうだ 幼年時代 私事

☆9歳、小学3年のとき、私はすでに青息吐息だった。疲れた。とにかく学校だけでも休ませてくれ。いますぐ休むことができないなら、義務教育の間はなんとか我慢するから、そこから先はしばらく休ませてくれ。そうでないとその先どうすればよいのかわからない。そんな危機感をいつも抱いていた。相談できるオトナは一人もいなかった。

☆両親は学校の味方、世間の味方で、ガキは学校へ行く義務があるのだからその義務を果たせ、世間体を考えろという立場だ。私の精神的肉体的疲労、どうしようもない倦怠感など眼中になく、私もそれを上手に訴えるほど日本語が達者ではなかった。

まあ、たとえ疲労感、倦怠感を上手に伝えることができたとしても、自分だけ楽をしようと思うなよとコドモのケツを叩いて終りだったにちがいない。なにしろいちばんかわいそうなのは自分たち、貧しい家庭で育ち頭がいいのにろくに教育も受けられず社会的に報われていない自分たちだと思っているような両親だったから、高熱を出していないコドモや病気にかかっていないコドモは負けてはいけない憎い「敵」のようなものだったようだ。

☆幼いころ、父が私を胡座の中に入れて「新品の服を着られるのはお父さんのおかげなんだよ」「裕福なのはお父さんのおかげなんだよ」と耳もとで囁いた。幼いながら私はどんな顔をすればいいのかわからず、ただただ困惑した。たしかに洋服は新品を買ってもらってはいたが、妹は私のお古ばかりだった。「裕福」な生活などしたおぼえがなかったので父の言葉を肯定するわけにもゆかず、さりとて否定することもできず、だまってうつむくしかなかった。

☆さて、ようやく義務教育を終え、高校にも合格し、母と二人で高校の入学式へと向うバスに乗りこんで気がついた。これは新しい3年間の始まりではないか。この道をどう降りるかを考えたが方法が見つからない。仕方なく朝7時前のバスに乗り高校へ通った。

入学式から10日ほど経ったころ、うまい具合に病気にかかった。お医者さんが通学は無理だというので1年間休学することになり、念願だった休息を手に入れたはいいが、けっきょく高校はドロップアウトしてしまった。

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