百貨店のない町になるとき

☆十代のころ、絵の具のチューブに入ったド紫色の口紅を買った百貨店は、だいぶ前にこの町から撤退した。そのときに初めて百貨店の閉店セールというものを体験した。閉店前日だったと記憶しているが、これがこの町かと思うくらいの人混みだった。それとは対照的にすっからかんになった店内の様子を見て、来るんじゃなかったと後悔した。これで町には百貨店が一軒になってしまった。

☆そもそも市中心部へ行くひとが減って久しい。普段いるのは老人と観光の中国人と下校途中の高校生くらいなものである。

☆田舎は車社会だ。車がないことは死を意味する。駐車料金のかかる市中心部の百貨店へわざわざ行かなくても、郊外のイオンなどのほうが無料の広い駐車場があるし、バラエティに富んだ目新しいお店でゆっくりお買物をして、ついでに気軽なお食事もできる。おまけにそういう施設は建物も比較的新しい。古くさい百貨店へ行くよりは、より気軽で新しい場所へ行くことを選ぶのだろう。それはこの辺のひとびとの習性でもある。いや、そもそも日本じゅうがそういうひとびとであふれかえっているのかもしれない。

☆現在閉店セール中の百貨店へ行ってみると、商品を売り尽くしている真っ最中だった。そんなことはわかりきっていたが、変りはてた売り場を見ると、親しいひとが亡くなって形見分けに押しかけたわるい親戚になったような気分になり、とてもお買物する気になれず、淋しい気持だけ抱えて手ぶらで帰ってしまった。百貨店から手ぶらで帰るひとが多いから閉店セールをする事態に陥っているというのに。せめて地下の食堂へは行きたいと思っている。