蜂蜜やさんと花とミツバチ

☆私との続柄は不明なのだが、むかしむかし、親戚に養蜂業を営む男性がいたそうだ。そのひとが亡くなったとき、お葬式に複数の見知らぬ若い女性が小さなコドモを連れて現れコドモを認知してほしいと言い出し、親戚一同仰天したという事件があった。けっこうな…

清志郎がぶっ飛ばした夜

☆忘れもしないあの騒がしい夜のこと、開口一番、彼は叫んだ。 「相変らず人口少ねえな、旭川!!」 そして 「コドモいっぱい作れ!!」 と続けた。 RCサクセションが “来日” しているというのに大ホオルの客席の半分以上はなんと無人だったのである。 当時まだ小…

馬車がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!

☆幼いころ、お風呂のお湯は釜をつなげた浴槽に水を入れて湧かしていた。湧かす燃料は石炭だった。 ☆石炭はどうやって家に運ばれてくるか。馬車である。「1トン、お願いします。」などと電話で頼めば、石炭やさんのおじさんが馬車を駆って、車道のど真ん中を…

なんでも代行

☆食餌制限があるので誰でもいいから飲食代行をお願いしたい。私の代わりにアイスクリームやソフトクリーム、パフェ、かき氷、ソーダ味のガリガリ君、ダブルソーダ(以上は溶ける前にさっさと食べ終ることが重要です)、プリン、シュークリーム、キットカット…

祖父の酒飲み夜話

☆下っぱの歩兵として旧満州に入った祖父は、来る日も来る日も背嚢(はいのう)を背負い一日じゅう歩かせられ、足の裏に水ぶくれができるとヨードチンキをしませた糸を針に通し水ぶくれを刺し貫かれる日々に「軍隊は駄目だ。」とつくづく思ったという。 帰国…

私のGR

☆GRと白黒フィルムの日々がひどくなつかしく思いだされるときがある。右手がGRの鋳物の感覚を恋しがって困ることもある。縦に構えればあつらえたようにぴったり親指の位置にシャッターがあったのだ。架空のGRでもいいから手に持ちたい。 ☆あのGRで何枚の写真…

お江戸の桜

☆いまごろお江戸ではきっと、ソメイヨシノや何とかヤマザクラはおおかた散ってたくさんの八重桜が咲いているころだろう。お江戸の八重桜はふんわりと大きな花で、見るたびにジャンプして喰いつきたい衝動に駆られたものだった。八重桜は、桜餅によく似ている…

人生に疲れた9歳が考えたこと

☆9歳、小学3年のとき、私はすでに青息吐息だった。疲れた。とにかく学校だけでも休ませてくれ。いますぐ休むことができないなら、義務教育の間はなんとか我慢するから、そこから先はしばらく休ませてくれ。そうでないとその先どうすればよいのかわからない…

お葬式もお墓も仏壇もぼんさんも

☆私が死んだら適当に焼いて、残った骨はごみとして捨ててもらえればありがたい。 もしもそれが法律上の問題でかなわなければ、手間をとらせて申し訳ないが、骨を粉砕して道路でも空き地でも道ばたでも川でも、とにかくそこらへんに無造作にばらまいてくれれ…

私の5年前

☆あの日あのとき、私はアパアトの7階の自室に一人でいた。まず壁の一部、天井近くから「めりっ」というすごい音がしたかと思うとやがて部屋がゆっくりと揺れ始めた。地震がくると私は必らず波乗りのポオズをする(実際の波乗りは未体験)。経験上これで震度…

東京大空襲と祖父

☆前にも書いたが、祖父は終戦前後の東京で警察官をしていた。私が小さいころから、大きくなっても、晩酌の席では警官になるまえの軍隊での話や警察時代の話を聞くことができた。酔った祖父は同じ話を何度もくりかえし、私はその都度いま初めて聞いたかのよう…

ナンパという不可思議な行為

☆「僕、これから家で晩ごはん作って食べるんですけど、来ませんか?」といかにも真面目そうなひとに真顔で言われた夕暮れ時。一面識もないひとである。突然のことにぽかんとしたがもちろん即座に断った。相手はあっさりひきさがってくれたが、自宅での食事に…

啓蟄といえば

☆啓蟄の日ではなかったが、十年ほど前、冬眠から目覚めたばかりと思われるカエルに出くわしたことがあった。場所は東京S区。日が傾きかけた道端を半開きの目でゆっくりと歩く一匹のカエルがいた。鼻の先からお尻まで12、3cmもあったろうか。私が育った寒い…

菊正ジャンキーの恐怖

☆私がコドモだったころ、菊正宗という日本酒のCMがあった。 ☆おいしそうなお酒とお刺身などを交互に映し「菊正を飲むとうまいものが食べたくなる」「うまいものを食べると菊正が飲みたくなる」と落ち着いた男性のナレーションが入り、「〽︎や〜っぱり〜俺は…

あなたと私の境界線

☆「俺、気持いい=お前、気持いい」という破壊的な誤解がこの世にはある。 ☆そのおかげで、私は性交で汗をかいたことがなかった。相手は海のような大汗をかいているが、私の躯は冷たく、寒いくらいが普通で、それに気づいた相手は不思議がった。早く終らない…

かわいそうだから可愛い、という怖くて迷惑な話

☆ひとのかわいそうな様子を見て「可愛い」と喜ぶ性質をもつひとは非常に困ったひとである。 ☆父がそういうひとだった。まだ私が幼かったころ、たびたび高熱にうなされる私の顔をのぞきこんでは「かわいそうに…。」とさもうれしそうに言う父の顔に困惑したも…

思春期をぶっとばせ

☆「だって将来、油まみれで働くの、いやだもん。」 東京の有名大学を受験しようとしていたらしい上級生があるときこう言った。町でいちばんの進学校に通っていたハンサムな彼は、もともと賢いうえに予備校通いもして家でもたくさん勉強していたのだろう。な…

こんにちわ、シネマ倶楽部

☆のちに「遊興団体」(笑)と化したシネマ倶楽部は、自主映画の監督Kちゃんが作った、もともとは映画を作るための集団だった。 ☆二十歳そこそこの私が某バンド(もちろん無名)に在籍したとき、とあるハコによく出入りしていた。Kちゃんはそのハコのスタッフ…

競馬のない人生は影のない馬

☆20年来の競馬好きだが、わけあって何年か競馬断ちをしていた時期があったため、それ以来いまだに浦島太郎状態から抜け出せずにいる。 それまで競馬の本を月に数冊買って熟読していたのが、本も読まない、競馬中継(これもなつかしい言葉になってしまった)…

コドモの慾望

☆もしもコドモのころ慾しかったもの全部を手に入れていたら、当たり前だが、確実に大変なことになったはずだ。 ☆まず各種化石、恐竜(生前)、サターンロケット、きれいな石ころ、お姫様(国産)、お城(洋もの)、おやつ、つぼ振りのおねいさん、アメ車、巨…

東條英機と布団

☆祖父は終戦前後の何年間かを警視庁の警官として過ごしたひとであった。それだけに一風変ったエピソオドの持ち主で、普段は口数が少ないが酔うと饒舌になり面白い話が聞けるので、私は小さなころからオトナになっても祖父の晩酌に同席するのが大好きだった。…

異次元からの訪問者

☆幼いころ、家にときおり門附がやってきた。ひとに話しても信用してもらえなかったが、じっさいに門附はやってきたのだ。 ☆あるどしゃ降りの日、玄関に一人の虚無僧が現れた。でっかいくずかごみたいなものを頭にかぶり、ずぶ濡れの黒いゴム引きマントを着て…

スーパーマーケットは楽園

9歳のとき、小さな田舎からある程度まとまった人口のいる地方都市に移り住んだ。近所には大きなお店、世に言うスーパーマーケットがあった。母に連れられて行ってみると、ものすごい量と種類の品物に圧倒された。そしてトリップしたかのようにそれらの品物…

女の子はみんなの幻覚

☆幼いころから自分を「女の子」だと思ったことが一度もない人生だった。性別:女。それだけだ。 ☆女の子呼ばわりされるのにも違和感しか抱かなかった。両親、とくに父親の訛りがきつく、非常に気持のわるい抑揚で「女の子」と言っていたことも影響しているか…

性別「・」

☆小学校高学年のころのこと。コドモの書類になぜかあった「男・女」の「・」や、「男 女」の「 」に丸を付けつづけたあの日々は何だったのかと思う。 まず性別が女というのが気に入らなかった。しかし男になりたいわけでもない。「男と女の中間」や「両方」…

追憶の電気猫

☆電気猫という名の小さなライヴハウスに週末ごとに通っていた時期がある。中年のころだ。苦手な夜道の一人歩きをしてでも通いたかった場所だった。 ☆小さなフロアにでかい音。演者の執念がいろいろな形で炸裂して熱気を生むのが興味深い。音楽的にストライク…

言葉の意味が失われてゆく

☆「気持わるい」あるいは「きもい」という言葉の気持わるさに気づいたのは中学生のころだった。 ☆濫用され消費されることによって意味の失われた言葉がどんどん増えている。それらを耳にすると気分がわるくなる。口にすると変な味がしそうな気がする。世の中…

T. REXと私

☆あれは18歳の夏のこと、私はT.REXの『THE SLIDER』のレコードを手に入れた。Janis Joplinの『Pearl』もいっしょに買った。 ☆家に帰ってカセットテエプに録音し、くり返し聴いた。ジャニスのほうはすぐに好きになったが、T.REXのほうは何度聴いてもピンとこ…

生まれてきたのが運の尽き

☆この世に生まれてきたことに関しては、たいへんな貧乏くじを引いてしまったと後悔している。 製造元に対しては「なんてことしてくれたんだ」の一言に尽きる。もちろん私は子孫など製造しなかった。「人生」というものをお勧めできないし、自分の面倒も見き…

背中のチャックの話

☆ひとの背中には架空のチャックがあるとつねづね考えている。 ☆チャックを開けると3歳の自分や4歳の自分や5歳の自分、小さい自分が、オトナの形をした着ぐるみの体からわらわらと出てくるのだ。それら各年齢の自分をぜんぶ足すと現在の年齢になる仕掛けで…